戦国クリエーター・jamiの『甲冑ファッションコーディネート』

jami(ジャミ)と申します(^^) 戦国Web小説書いたり、舞台用甲冑つくったりしております☆ それ系が好きな方、仲良くしてやってくださいませ♪

戦国武将紹介!『 長曾我部元親 』一芸を極めるは多芸に通ずる。鬼若子と呼ばれた四国の覇者

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どうも。jami(ジャミ)です。

戦国クリエーターのjami(ジャミ)と申します。

戦国好きがこうじて、戦国的な作品をつくるようになった者であります。

Web小説を書いたり、甲冑をつくったりしております。これは作品の宣伝も含め、自分の表現の場としてつくられたブログであります(^^)。どうぞよしなに☆

 

 jami的戦国武将紹介 No.17 

長曾我部元親

一芸を極めるは多芸に通ずる。鬼若子と呼ばれた四国の覇者

このコーナーでは、戦国ファンのjamiが戦国武将をライトにご紹介していきます(^^)
盛ったり簡略化したりしてます(^^;)
史実とは限りません(^^;)

諸説あっても、ひとつしか述べなかったりします(^^;)
興味がもてた武将さんを、ぜひご自身で調べてみてください(^^)

 

雑ぅ~~な紹介動画つくりました。
句読点の表記とかいろいろツッコミどころはありますが、大目に見てやってくださいませ(^^;)

 

https://youtu.be/jRRT1aWYt2s


長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)
土佐の戦国大名にて 四国の覇者。

 

おとなしかった幼少時代は軟弱者を意味する『 姫若子 』と揶揄されていたが、
勇猛果敢な戦いぶりで 華々しい初陣をかざる。

一領具足(いちりょうぐそく)と呼ばれる半農半兵をひきい、
群雄割拠の四国にて 勢力を拡大していった。

 

「 一芸に熟達せよ。多芸を欲張るものは 巧みならず 」

 

との言葉をのこしており、一つの能力を徹底して磨きつづけることによって
ものごとの本質をつかみ、ひいてはそれが他の分野にも活かせることを説いている。

 

________________

 

武将さんを語るにあたり、コメンテーターの皆さまをお呼びしました。

f:id:jaminism:20180127110618j:plain

 

ガンダム的な武士的な何かです。

 

ザク的な武士的な何かです。

 

グフ的な武士的な何かです。

 

シャア専用ザク的な武士的な何かです。

 

はい。では、コメンテーターの皆さまは、この長曾我部元親という武将に対してどんなイメージを持っておられますでしょうか?

 

やっぱり、その・・名前が長いですね。

 

そこぉ!?(^0^;)

 

まぁ、はじめて聞いたときにはそれ思いました。

 

たしかに。

 

それはいいとしまして、彼はやはり四国の覇者といった感じですね。

 

ですね。実はわたし、全然知らなかったんですよ。マンガ読んでたらこの元親さんが出てきて、
なんだかすごい人だぞって思っていろいろ検索しておりましたら、本当にすごい方でした。
まさに四国にこの人あり!みたいな。

 

あぁ、マンガに出てきたらなじみやすいですね。
戦国好きなあいだでは有名な武将さんでも、一般的には認知されてない方は多いですからね。

 

そうなんです。だから私もそういった武将さん方のご紹介もしていきたいなと思うんですよね。
この長曾我部元親さん、たしか元服は数え年で23歳。

 

はい。当時としては遅いですね。幼少時は、とても色白でおとなしかったので『 姫若子 』(ひめわこ)と揶揄されていました。

 

ひめわこ、ですか。姫のような、ってニュアンスですかね。

 

それプラス、軟弱といった感じでしょうか。

 

あぁ、確かに当時の武士の男としては嬉しくはないあだ名ですね。

 

でも、凄まじい初陣だったようで、自ら槍を手に突撃し勇猛さをみせました。
その戦いぶりに彼は『 鬼若子 』(おにわこ)と呼ばれ称賛されます。

 

姫から鬼に大変身ですか。それはすごい変貌ぶり。

 

もともと素質があったのかも知れませんね。普段おとなしいかどうかは、戦のセンスとは関係ないですからね。

 

そしてその鬼若子は四国の敵勢力を制圧していくと。

 

はい。そのころには『 土佐の出来人 』と呼ばれるようになりました。

 

出世魚みたいですね。同じ人なのに、呼ばれ方がどんどん変わっていくってのは。

 

それほどその出世ぶりが際立ったとも言えますね。ただ、大きな壁が立ちはだかります。

 

・・織田信長

 

そうです。天正八年(1580年)、信長は元親に臣従をせまります。元親はこれを拒絶し敵対関係となります。

 

当時、勢いにのっていた信長軍が相手ではさすがに・・・

 

そして天正十年(1582年)6月2日。この日、信長の四国攻撃軍がついに渡海する・・予定でした。

 

・・ん?・・天正十年(1582年)6月2日?・・あれ、この日って!?

 

そう。本能寺の変です。家臣・明智光秀による謀反で、信長はまさかの最期ととげます。

 

うわぁ・・・、何といいますか、何ともいえないですね。

 

ですね。ただ、信長なきあとも秀吉と対立します。抗戦するものの、秀吉の大軍勢のまえについに降伏します。

 

ここが戦国の厳しいところですね。戦国に限りませんが、上には上がいる。

 

まったくもって。それと戦に負けた側は、どうしても勝った側より劣っているイメージがつきがちなんですけど、
タイミングやらいろいろな状況があっての結果なので、なんか悔しかったりしますね。

 

なんだかんだで「すごい人はいっぱいいる」という思いを伝えたいですね。有名無名、関係なく。

 

そうですね。あと、彼にはこんな名言があります。「 一芸に熟達せよ。多芸を欲張るものは 巧みならず 」
一つの能力を徹底して磨きつづけることによって、ものごとの本質をつかむことができる。
ひいてはそれが、他の分野にも活かせることを説いているんです。

 

あぁ~~!分かる!分かります!!この人なんでも出来ちゃうなぁ~って方、いますもんね。

 

この言葉も解釈しだいでは誤解されてしまいますね。
一つのことを磨くことは大事と言いつつも、それは他にも活かせるという意味をもち、

「二兎追う者は一兎も得ず」ともとれることも言っていながらも、とことんまで一兎を追う能力を磨けば、
二兎も三兎も得ることができるという意味をもちます。

 

聞く人の理解力が問われますね。

 

まったくです。

 
 
 

・・・・・。

 

何か?

 

いえ。

 

出番ほしい?

 
 
 

・・・・・。

 

ほしいと言えばほしいけど・・・・

 

うまいことガンダム的なセリフをぶっこむのも、考える時間が必要なのだ。

 

はぁ。

 

つまり、それを考える時間がもったいないというか、本筋にもっと時間をかけたいなと。

 

そうですか(^_^;)
好きにしてください(^_^;)

 
 
 

はぁ~~~い(*゜▽゜*)

 

まぁ、思い浮かんだときに、好きに絡んでくださいな(^_^;)
そんなわけで、今回のjami的戦国武将紹介、おしまい~( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

  自作甲冑
つづきまして、作品紹介であります。
甲冑つくってます(^^)
本物ではございません。さらには本物志向でもないです(^^;)
あくまで『簡略化』『量産性』を基本方針としております。

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インスタにもこういった甲冑画像などをのせてます。ぜひ覗いてやってください(^^)

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てなワケで、今回の記事はここまでっ( ´ ▽ ` )ノ

このたびは、おつき合いくださり感謝もうしあげますm(_ _)m(^^)

今後とも、どうぞよしなに~( ´ ▽ ` )ノ

 

PS.

 

追伸です、追伸~~~!!!

コメンテーターとの会話を読み返していて、「 姫若子 = 軟弱 」の部分にてガンダムネタを思いつきましたっ(*゜▽゜*)

 

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「軟弱者ぉ!」

 どうにか本文にねじ込もうかと試みたのですが、断念しました(^_^;)

ので、追伸というかたちで載せておきます( ´ ▽ ` )ノ

 

 

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