【目次】
どうも。jami(ジャミ)です。
わたし、何度か言われたのです。
「あなた何者?」と。
・・・そうですね。
はい。
jami(ジャミ)です(*゜▽゜*)
jami(ジャミ)と申します( ´ ▽ ` )ノ
あ、冗談です。「今の活動内容はだいたい分かったけど、どんな人なの?」ってことですね。
一応話してるんですけどね、直接お会いした方々には(^_^;)
今回はそのへんをブログでも書いていこうかなぁという、需要があるのかないのか分かんない内容です。
自分史を文章作品にしたらどうです?
そんなことをある人から言われました。
・・・ちょっと話が飛ぶようですが、
私はもともと生物が好きです。動物も植物も、生物全般。それは恐竜など、古生物にもおよびます。
小学生の頃に古生代(むか~~しむかしの、ある期間)や中生代(恐竜時代など)の年表を覚えました。まぁ、そんなに多くはないのですが(^_^;)
《古生代》
《中生代》
三畳紀(さんじょうき)
ちなみにこの白亜紀末期に恐竜は絶滅し、《新生代》という時代が幕をあけます。
そして古生代・カンブリア紀よりも昔は「先カンブリア時代」といって、これら古生代・中生代・新生代を合わせた時間よりも、遥かに長い長い時がながれ積み重なっています。
そんなことを考えていたら、心が、魂がどこかべつの次元にとんでいってしまうような感覚になったものです。
・・・地球の歴史から考えたら、恐竜時代も、動物が海から陸に上がった時代も、わりと最近なんだなぁ・・・
みたいな感じで。
とまぁ、そんな話をしてたんです。そうしたら言われた「自分史を文章作品にしたらどうです?」という言葉。
・・・う~~~ん、まぁ、作品というつもりもないけれど、ちょっとやってみようかな(´・_・`)
と思い、過去をさかのぼる旅と題しまして、8回にわたって書いてみることにしました。
地下へ地下へ降りていくように、過去へ過去へ
自分史といえば、生まれてからのことを時間軸にそって書いていくのが一般的なのかも知れませんが、なんだか地層を連想してしまいました。
なんといいますか、地下に、地下室に過去の自分が生きているような、そんな不思議な感覚。
と、いうワケで(どうゆうワケ?)、過去へ ➡ より過去へ ➡ さらに過去へ
といった感じで書き進めることにしました。
てなワケで、
まずは 地下3階 から
・・・・・(´・_・`)
(;゜0゜)
なんで3から!?Σ(゜д゜lll)
1からでええやん!(;´Д`A
て思われるかも知れませんが、jami的にここからがシックリくるのです。
ちょうどいい区切りと言いますか、例えるなら恐竜絶滅のような大きな区切りなのです。
何かが終わって 何かが始まる 区切りのとき。
プロの世界は甘くなかった
俳優時代と分かりやすいタイトルにしましたが、顔を出して演者をしてギャラをもらえていたのは、後述する武将隊ぐらいでした。
とあるところでお仕事をいただいていたワケですが、どんな仕事があるのかろくに知りもしないで飛びこんだ世界。
メインのお仕事はキャラクターショー。
まず、当たり前ではあるのですが、当たり前のレベルが高い。
・・・そりゃそうだよなぁ、プロだもんなぁ(^_^;)
と、こんな顔文字のように笑っていられるような余裕はなく、いつもヒ~ヒ~いってました。心も身体も。
そればかりではありません。キャラクターの面(めん。頭にかぶるパーツ)をかぶると視界が極端に狭くなります。「見にくいなぁ~」ぐらいで済めば良いのですが、私の場合、意識が混濁してしまうのでした。
今だから言えますが、じつは面をかぶっただけで20秒もしないうちに失神して倒れそうになったことが何度もありました。
アクションで体を動かし過ぎての酸欠ではありません。視界が狭まって外の景色が見えなくなっただけで意識がなくなって気絶しそうになるのです。
いま思えば「コンディションが悪かった?・・・もしかしたら病気だったのかも?」となるのですが、てっきりみんなこの状況で、同じ状況でやっているのだとばかり思っていました。
みなさんスゲェなぁ(´・_・`)
・・・あれ?
・・・どうも違うぞ。私だけらしい、と気づいたときは愕然としました(^_^;)
なんだかんだで、幾度となくご迷惑をおかけしてしまいました。
武将隊というお仕事
ありがたいことに、自分の実力以上のお仕事をいただくことができました。
武将隊というお仕事です。
甲冑を身にまとい戦国武将にふんし、イベントやテレビ・ラジオに出演し、殺陣やダンスや寸劇・歴史講話、ときにはお客さんをおもてなしする観光PRのお仕事です。
キャラショーもそうなのですが、本来 実力がある方がやられるべきポジションを分不相応にもやらせていただけることになったのです。
(管理者さまの許可をいただけましたので画像など載せてます)
もうね、プリクラマジック使いまくりでしたよ( ´ ▽ ` )ノ
実物を1584倍良く見せてくれます♪( ´▽`)
↓ 殺陣動画 ↓
↑ 黒い甲冑を着ているのがjami。
相方さんとの実力差が歴然としている( ;´Д`)
赤い甲冑を着ている方は、めっちゃ尊敬している実力のあるアクション俳優さん。
劇団☆新感線に出まくっている、本当に本当に実力のある多くを積み上げてこられた方。
そして動画提供者さま、使用許可ありがとうございます!
楽しかったです。とてもやりがいを感じていました。歴史の勉強もしましたし、歴史が好きになりました。もともと興味はありましたが、自分の根幹に根付いたような気さえしております。
ブログもよく書いておりました。
↓ ↓ ↓ ↓
こんなね、くだらないブログを書いていたにも関わらず、喜んでくださる方々がおられました。
「いつも楽しいブログをありがとうございます」と言ってもらえました。
嬉しかったですよ。感謝しかありません。
「ありがとうございます」はこちらのセリフですよ。
いつもいつもイベントのたびに来てくださる方々もおられました。
県外に遠征してイベントに出ることもしばしばだったのに、それでも来てくださる方々もおられました。
こちらが支えてもらっていたのですよ。
とお伝えすると、「こっちももらっているんです。いつも元気をもらっているんです」と返ってくる。
もう、本当に
本当に、感謝しかありません。
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
本当に、ありがとうございます
ぶっちゃけると、悔しい思いもたくさんしました。どうしていいのか分からないことがたくさんありました。
へこんだ顔を見せたところでどうにもならないから、表にはできるだけ出さないけど。
実力不足ととらえるしかなかった。
『循環』~理想のカタチが見えた気がした~
この武将隊のお仕事を通して得たものは計り知れないほどあったけど、そのなかの一つにこんなエピソードがありました。
私は武将隊のメンバーのなかでも、とくにブログを書くのが好きな人でした。メンバーは自由に書いていい方針だったので、書きたい人はどんどん記事を更新していきます。
そのうち私の記事が連投されることもしばしば出るほどでした。そこでメンバーに
「今みたいな感じでガンガン書いちゃってていいかな?(^_^;)」と確認するまでに。
「いーよいーよ!ガンガン書いちゃって!」と快諾してもらい「よっしゃー!」てな感じだったのですが、なんとかしたいネックもありました。
画像が撮れないのです。ブログに載せる画像が。イベントに出演している自分たちの画像がほしくてほしくてたまらなかったのですが、自分も出演している側なので基本的には撮れません。
運よく撮れるのは休憩時間などわずかなタイミングだけ。
いやいやいやΣ(゜д゜lll)
本番中の画像がほしいのよ!( ;´Д`)
でもムリだよなぁ・・・
いや! なんとかならないもんかな?
と考えていたら、ふと思い浮かびました。
お客さんに撮っていただければサイコーじゃないかo(≧▽≦)o
そしてお願いする戦国武将。
「画像ください」
「イベント中の画像を使わせてください」
「撮ったらアップしてください」
そうしましたら、ガンガンTwitter上にアップされていく自分たちの画像。
欲しくて欲しくて、でも手が届かなかったもの。
それがあふれるようにカタチになっていったのです。
そしてブログにて使わせていただき「ありがとうございまする~!」と感謝を述べましたら、なんと逆に喜んでいただけるΣ(・□・;)
「使ってくれてありがとう!」
てな具合で。
・・・え? 感謝された??(;゜0゜)
こっちがお願いして、こっちが得したのに(;゜0゜)
感謝してるのはこっちなのに、
相手も感謝してくれている???(;゜0゜)
循環
好循環
そんな言葉が浮かびました。
感謝が
好意が
喜びが
楽しさが
思いやりが
そういった暖かいものが巡り巡っていくのを感じました。
「安定」を求めたあの人は・・・
もともと目立ちたがり屋だった自分は武将隊のおかげか、もう表舞台に立ちたいという思いはなくなっておりました。昇華できたのだと思います。
とりあえず結果を出すことはできたかなと。
やれることはやったつもりだし(至らぬ点は多々あれど)、なにかしらのカタチにはなったかなと。
もちろんそれは自分がそう思っているだけなのかも知れませんが、それでいいのかなと。
そこでふと思ったことがありました。
昔の職場に顔を出してみるか、あいさつぐらいしておこうか、と。
そのうちブログでも書くとは思いますが、私は高校を卒業してから就職しております。アマチュアで演劇を続けながら平行して何年もその職場で働いていたのですが、「このままここにいては先はない」と気づき退社しプロの世界(自分が行きたい方向)へ進んだ過去がありました。
退社してから何年も経っており、はじめて顔を出す気になった。
「好きに生きてますよ~」
「楽しんで元気にやってますよ~」
「幸せですよ~」
とお伝えしたいと思えたのです。感謝を伝えたくなったのかも知れません。
ところが・・・
その元職場へ向かうと、誰もいません。
誰もおらず閑散としています。
・・・もしや!? と思い検索してみたら、案の定、・・・もはやその会社は存在していませんでした。
私が出向く、ほんの数ヶ月前に倒産してしまっていたのです。
そのとき私の頭にある人との会話がよぎりました。
「俺はここ辞めたら次の仕事 見つけられるか分からんで、ここに残るわ。」
その職場の先輩が言った言葉です。私よりちょっと年上なだけでしたから、まだまだ若いと言っていい人です。
「安定」を求めての言葉だとは分かるのですが、そのときの私にはもっと大事なことがハッキリと分かっていました。
安定なんてものはない
ということ。
その職場を出たから分かったこと。
ひとつの世界にいては、おそらくは分からないこと。
安定を求めた者がそれを失い
それを手放した者が好きに生きている
あの先輩は、いまどうしてるんだろう・・・
元気にしてますか?
★ ★ ★ ★ ★
なにはともあれ、表舞台でやりたいことはとりあえず全部やらせてもらえ、人前で自分自身をつかって何かをしたいという想いは消えました。
高校演劇から続けてきた役者人生が、静かに閉幕となった時代のできごとでありました。
現在ここを【地下3階】と仮定して進めてきました物語、いかがだったでしょうか?
次はさらにその下の階【地下4階】へと降りてまいりましょう。
ご興味がございましたら、私とともに私の記憶の旅を巡ってくださいませ。
★ 次回予告 ★
【プロデュース公演時代】
① とある夏の終わり、膨大な情報が降りてくる
・物語でもなく歴史でもなく感情でもなく、まさに情報の津波
・昔からやりたかった殺陣のある演劇
・そこまで言うなら自分でやれよ
② 父の余命宣告。でも、余命を知れただけでも・・・
・いきなり「余命半年」。そんななか知人が交通事故で亡くなってしまう。
③ ゼロからのメンバー集め
・発起人はポンコツだったが、集まってくれたメンバーは優秀だった
・はじめてのことだらけ。へこむ毎日
④ 初めてお金のことを考える
・ネットワークビジネスをやってみた ➡ ダメだった
・「やらなくても分かる」と「やってみないと分からない」
⑤ 3年かけて三部作を上演
・本番直前のアクシデント。ひどい言葉をかけてしまった浅はかで思いやりのない自分
・失敗を挙げたら数えきれない
・「夢のような時間でした」
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てなワケで、今回の記事はここまでっ( ´ ▽ ` )ノ
このたびは、おつき合いくださり感謝もうしあげますm(_ _)m(^^)
今後とも、どうぞよしなに~( ´ ▽ ` )ノ
戦国クリエーター・jami(ジャミ)
戦国好きがこうじて、戦国的な作品をつくるようになった者であります。Web小説を書いたり、甲冑をつくったりしております。
《プロフィール》