戦国クリエーター・Jami

Jami(ジャミ)と申します(^^) 甲冑つくったりしております☆ どうぞよしなに!

【プロデュース公演時代】~過去をさかのぼる旅・地下4階~

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あの日、めっちゃ天気良かったけど

どう見えてるかは人それぞれだよなぁ~ って心底思った

 

【目次】

 

 

 

 

 どうも。jami(ジャミ)です。

 

自己紹介も兼ね ~過去をさかのぼる旅~ と題しまして、前回から自分の過去を開示する記事を書いております(^_^)

 

生まれてから順を追って書いていくのではなく、過去へ過去へと書き進めて・・・ん?

書き戻して?

(ま、どっちでもいいか( ´ ▽ ` )ノ)

書いていきたいと思います。

 

前回書いたのはコチラ

↓ ↓ ↓ ↓

jaminism.hatenablog.com

 

なぜ地下3階から物語(?)が始まるのかはツッコまないでね( ´ ▽ ` )ノ

(ちゃんと意味はある)

 

 

ホントはね・・・

カッコ良いことばっかり書きたい。ダサいところとか失敗談とか書きたくない!

浅はか~~~な自分も露呈したくない!!

なのでね、そうゆうのはカットしてカットしてカットしまくりたかったのですが、それでも溢れ出てくる失敗談( ;´Д`)

 

もうね、溢れ出てくるならしょうがない(^_^;)

だって、溢れてんだもん(*゜▽゜*)

 

出ちゃったね♪( ´▽`)

 

って開き直るしかないですよね。

ですので、「なんか良いこと書いてあるかなぁ~」と思ってこの記事を見つけた方、あらかじめ謝っておきます。

 

 

m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m

 

 

サーセン m(_ _)m

 

 

これだけ情報化社会となり有益な情報がでまわっている現代ですが、この記事に書かれていることはいわゆるスゴイ内容ではありません

 

おそらく大多数の方がそうであるであろう凡人の一人である私の、ありふれた歴史であります。

 また書いてるときの心境によって、ていねい語になったりならなかったりします。

 

 

ある夏の終わり、膨大な情報が降りてくる

 

私は高校時代に演劇に出会い、何年も携わっておりました。高校を卒業し就職し、同時に知り合いから誘われた劇団に入りました。仕事と演劇を両立する毎日。

 

寝る間もないほど時間に追われる期間もありましたが、これはこれで楽しい日々でした。

 

何年もそんな生活がつづいたある夏の終わり、夜。

私の脳内にとつぜん膨大な情報が怒濤のごとく降りてきました。

 

 

「情報ってなんやねん!?」

 

 

ってな感じですが、まさに情報としか言い表せないものが頭のなかにあふれてきて、とめどなく巡りだしたのです。

 

映像だったような感情だったような歴史のようなものだったようなでもまったく違うような何かのカタマリ? 連なり?

こんな感じでカラーで表現したいのに、見えたかもしれない映像は白黒の人々が真っ暗ななか歩いているような?

感情だったような気もしたのに、でも淡々として「無」の、思考が消えてしまったかのような意識?

歴史のようなものにも思えたのに、時の流れがないような時間?

なんというか何万年何億年もの時間は イコール 一瞬 である、ような・・・

 

 

 

・・・はい(^_^)

 

意味不明ですね(^_^;)

 

私もうまく表現できません。

うまく表現はできませんが、なんとしても

なんとしても!

 

それをカタチにしたい!!

 

という全力疾走したいエネルギーと同時に

 

どうやってカタチにすんねん!?

 

という満たされない渇望感に心と身体が支配されました。

 

幸いなことに当時の私には、

演劇という表現方法がありました。

 

しかしながらそれは、

演劇という表現方法しか知らないとも言えました。

 

 

 

はたして、上記のアレ ↓

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↑ コレを、どう表現してよいものか???

 

 

さて

 

どうなることやら・・・・・・・

 

 

昔からやりたかった殺陣のある演劇

 

気づいたら私は台本を書いておりました。同時進行で、城の構造などの勉強・・・と呼べるほどではなかったけれど、本を読みあさるようになりました(ネット環境が普及してない時代)。

 

といいますのも、方向性はすぐに決まったのです。

 

それは戦国的な作品

高校演劇やってたころから「るろうに剣心」の舞台をやりたいと思っており、その想いは大人になってからも心のかたすみにずぅ~~~~っと息づいていました。

もっと言うと、「るろ剣」でなくてもよかった。

カッコ良い戦闘シーンが盛り込まれている、熱くて泣ける作品であれば。

 

 

とはいえ・・・・・

 

当時はそれをどうやって舞台化すれば良いのか見当もつきませんでした。チャンバラのことを殺陣(たて)と呼ぶのですが、当時それすらも知らなかった100%のド素人!

 

でも衝動にかられながら想いだけはあふれてくるので、とにもかくにも

できることをやるしかなかった。

 

実力はなかったけど、とりあえず台本を書くことはできた。

学力はなかったけど、本を読むことぐらいはできた。

 

とにかく、やれることはやれるだけやった。

 

しかしながら、ド素人には変わりなく、課題は山積み・・・どころか どんな課題がどれほどあるのかさえ見当もつかない。

 

そんなド素人でも、これだけはできなきゃ話にならない! って分かることもあった。

 

そう

 

殺陣 である。

 

 

でも、それをどこでどう習得して良いのかはサッパリ分からない。そんなとき、私はGEO(音楽やゲームのお店)にて、とある看板が目に止まった。

真・三国無双 の新作が発売されるらしい。

 

はい。速攻で買いました。

殺陣を学ぶために買いました。

 

 

・・・は? え? え??(;゜0゜)

 

 

えぇ~~~~!???Σ(゜д゜lll)

 

 

いやいやいや(;´Д`A

 

 

なんで殺陣を学ぶために三国無双やねん!? てな感じですが、私は大まじめです。

今でこそ知りたいことがあればすぐ検索しますが、当時はネット環境が整ってない時代。

「わらをもすがる」とはこのこと。

 

ゲームであろうと、剣とか槍とか振り回すではないか。

なにか参考になることもあるのではないか?

 

わずかな可能性があるなら、いや、ありそうな気がしたのなら、とにかく確かめてみる。やらなきゃ可能性はゼロ。やってみてどうなるかは、やった人にしか分からない。

 

 

で、結果。

 

 

う~~~ん、そうですねぇ・・・

 

 

・殺陣の参考になったかは微妙( ´ ▽ ` )ノ

・でも戦国要素がますます好きになった。

・戦国的な知識欲がわいた。

三国志にハマった。

・のちに中国史にハマるキッカケになった。

・のちに日本の戦国史にハマるキッカケになった。

 

 

という成果を得ることができました( ´ ▽ ` )ノ

ほとんどが副産物ですね。いや、本来の目的が果たされていないから、得たのは副産物だけですね♪( ´▽`)

 

でも、大いなる成果物であります。

その後の私を左右する、大きな大きな影響を与えたのですから。

 

 

★ ★ ★ ★

 

ちなみに殺陣は知り合いが、教えてくれるところの情報をくれました( ´ ▽ ` )ノ

 

「こうゆうのやりた~~~い!」

「殺陣のある舞台がやりた~~~い!」

って演劇関係者に言いまくっていたので、気を利かせてくださった方が教えてくれたのです。

 

ありがとうございましたぁ!!!

 

感謝感謝であります!!!

 

 

とともに、やりたいことを口にするって、大事なことだなとも思います。

口にしたときは、ただの願望です。でも、それは想いを言葉というカタチに具現化したともいえるのではないでしょうか?

 

 

「実現できるかどうか分からないから、口にするのははばかられる」

 

そう思って言葉にしない・できないってことはあるかも知れません。

でも、願望を口にするぐらい いいじゃない!♪( ´▽`)

 

 

こうしたいんだ(*゜▽゜*)

こうなりたいんだ(*゜▽゜*)

こうなったらいいなぁ~(*゜▽゜*)

 

「想い」だけのままだと誰にも気づかれませんが、「言葉」にしたら誰かの耳には届きます。もしその誰かが、あなたのことを応援したい!と思ってくれてたら、ステキな展開に導いてくれるかもしれませんよね。

 

 

 

そこまで言うなら自分でやれよ

 

 自分のなかで「あ~したい」「こ~したい」が昂ぶってくるとともに、劇団の偉い人(?)にも「あ~した方が良いと思います」「こ~した方が良いと思います」と、偉そうな発言をするようになったjami。

 

自分ではそんなつもりはありませんよ(^_^;)

でも今思えば、ろくに団体を率いたこともないくせに、何か突出した才能があるわけでもないくせに、よく言うなぁ~と(^_^;)

 

で、相手からこのようなことを言われました。

 

 

「そこまで言うなら自分でやれよ 」

 

 

はい。ごもっともだと思いました。そしてこんな言葉も自分の口から出てました。

 

「じつは、ある台本を書いていまして・・・」

 

心のなかで、

・・・あぁ、自分、これからこの作品をカタチにしていくんだろうなぁ・・・

と確信しました。だって、すでに準備をはじめているんですもの。誰かに頼まれたわけでもないのに。自分のことなのに、ある部分ではオートマチックに

 

想い ➡ 言葉 ➡ 行動 ➡ 結果

 

という流れが進行していく。

自分の意思でやっていることではありますが、今となっては、より大きな流れのようなものがある気もしています。

 

 

 

★ ★ ★ ★

 

 

はい。そんなこんなで

 

ゼロからのスタート です\(^o^)/

 

 

仲間集めからです。

 

とりあえず、地元の劇団を知るかぎりすべてリストアップします。

それまで関わったことのない団体も。客演(所属劇団以外の公演に参加すること)に厳しそうなところは省きましたが、とにかく知り合いの演劇関係者さんに声をかけまくりました。

可能性がありそうなところへ出向いては、新しい知り合いを増やしていきました。

 

もともと人見知りで内向的なjamiですが、目的さえハッキリしていれば、どこへでもガンガン出向き、誰にでもガンガン声をかけれるようです。と言いますか、

 

 

人見知りとか言ってる場合じゃねー!!!

 

内向的!? じゃ外向けよ!!!

 

やれること全部やっても

できるかどうか分かんねーんだから、

やれることは全部やれやタコっっ!!!!!

 

 

という感じでエンジン・フル回転でした。

出向いたからと言って、知り合ったからと言って、興味をもってもらえたからと言って、参加メンバーになってくれる確率はきわめて低かったです。

 

一度はOKをもらっても、やっぱムリ!ってことも。

 

でもそんなのは当たり前。分かりきっていること。

とにかく数と工夫で立ち回りました。

 

 

結果。

 

ありがたいことに、メンバーを集めることに成功しました。

 

 

人事を尽くして

天命を待つ

 

そんなことわざが身に染みました。

 

 

 

父の余命宣告。でも、余命を知れただけでも・・・

 

話が前後しますが、まだメンバー集めに奔走しているさなか、突然父が余命半年であることを告げられました。

 

いまだかつてないほど沈みました。

 

今のうちに何かやるべきことがあるんじゃないのか?

受けとるべきものがあるんじゃないのか?

 

でもそれが何なのか分からないし、そもそもそんなものがあるのかも分からない。とにかく焦ったし、とにかく落ちた。

でもプロデュース公演のメンバーを集めているタイミングなので、暗い顔はできなかった。

知り合って間もない方々もいるし、まだまだ新しいご縁を繋いでいかなきゃいけないし、参加すると言ってくれた人たち同士をもっと仲良くするためにいろいろと考えないといけなかった。

メンバーが集まったとき「jamiしか知り合いがいない」という状況の人もいたので、とにかくエネルギーを新しい集合体ができあがることに専心する。

 

とにかく外向きに積極的に働きかけていかなきゃならない時期で、パッと見はハイテンションでよくしゃべる人だったけど、内側は消耗していたと思う。

 

 

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それからすぐにまたもや事件が起きた。

知り合いの役者さんが、本番を間近にひかえ交通事故で亡くなってしまったのだ。

 

あまりに突然のことで信じられなかったけど、どうやら本当らしい。

 

 

・・・この前会ってお話ししてたのに・・・

 

 

私は思いました。余命を知れただけでも、もしかしたら、見方によっては幸せなのかもしれない。

 

人が亡くなるときって、多くの場合、突然なのかなって。

 

だったら、別れが間近にせまっていると教えてもらえたら、その「死」と向き合う心構えができるのかもしれない。

 

 

まぁ、答えはないけれど。

 

 

 

初めてお金のことを考える

 

あるとき、昔の知人からネットワークビジネスに誘われた。今までの自分だったら、すぐに断っていたと思う。「それはダメだ。」「やらなくても分かる」といった具合に。

 

でもそのときの自分は違っていた。「話をぜんぶ聞いてないのに、それを良い悪いと判断できるのか?」と考えるようになっていた。

 

なので話をとりあえずは聞いてみた。が、ノリ気にはなれなかった。どこか強引でこちらの意向をないがしろにされている印象。

けれども言っていることも間違ってないように聞こえた。なにより、今まで自分があまり考えてこなかったお金の話を熱く語ってこられたため、無視してはならないような気がした。

 

ビジネスとかお金とか、そうゆうのはよく分からないけれど、確かに向き合っていかないといけないよなぁ。

 

と思い、やってみることにした。結果、ダメだった。話す人 話す人、拒絶反応の嵐だった。これはある意味、予想通りでもあった。だって、自分だってノリ気にはなれなかったし、どこか強引でこちらの意向をないがしろにされている印象をうけたのだから。

 

それと同じことをしてしまったこと、今では反省しております。ご迷惑をおかけしました方々、申し訳ございません。

 

無知で浅はかで人のことを考えない自分が露呈したことを恥じるとともに、じゃあどうすればいいかを考えました。

 

 

私は自分を誘った人たちに、

 

・ノリ気にはなれなかった理由。

・どこか強引でこちらの意向をないがしろにされている印象。

 

を述べて「こうしましょう」「あ~しましょう」と相談したものの却下。そんなこんなですぐにやめてしまったのですが、自分のひとでなしな部分を知れて良かったとも思っております。

 

 

 

 

3年かけて三部作を上演

 

 

いろんなことがありつつも、プロデュース公演は3年間にわたり、3つの公演を行うことができました。

 

もうね、感謝です。感謝感謝です。

こんなね、ポンコツな発起人の「やりたい!」をカタチにしてもらえて。

今思えば当時(メンバー集めの時期)の私は強い強い想いが先行しまくってて、饒舌になっていた気がします。変な表現ではありますが、うまく夢を語ることができていたといいますか。

 

なので、

「ここまで熱く語れるんだったら、実力もあるんだろう」

と思ってもらえて仲間になってくれたメンバーも多かったのかもしれない。

 

で、いざ本格的に始まってみたら・・・

 

「・・・あれ? この人、想いはあっても・・実力はないのか・・・」

となったのではないかと推測しております(>_<)m(_ _)m

 

 

至らぬ点ばかりで申し訳なく思っております。人を集められたはいいけれど、まとめることもできず、演出も演技指導もスタッフに関しても制作に関しても、なんにもできないホントただの発起人でした。

 

何をすればいいのかも分からず、誰にどう頼っていいのかも分からず、メンバーには困らせてばかりでした。

はじめてのことだらけ。自分もへこむ毎日。

 

そんな私の頼りなさに気づいたメンバーが、私が本来やるべき仕事をやっていってくれました。感謝しかないです。

私の想いなのに、仲間がカタチにしてくれたのです。やっぱり感謝しかない。

 

 

結論。発起人はポンコツだったが、集まってくれたメンバーは優秀だった。

 

 

失敗を挙げたら数えきれない

 

毎年秋に公演だったのですが、最初の本番直前にアクシデント。寒~~い寒い、かなり寒い稽古場で練習を行っていたのですが、音響担当の一人が体調を崩してとてもじゃないが本番には参加できないという状況にさせてしまった。

音響さんは二人いて、一人はBGMを担当し、もう一人はサンプラーといって舞台上で役者さんが殺陣をやるさいに「キ~~ン」とか「シュン!」とか「ガキィ~~ン!」とか、効果音をいれる担当がおり、後者の方がダウンしてしまいました。

 

わたしは作品が創られていく様子しか見ていませんでした。自分の想いしか見ていませんでした。舞台のうえしか見ていませんでした。

寒いけど、やったことない殺陣をなんとか覚え、なんとかお客さんに届けられるよう努める役者陣。そこはかろうじて見えていた。

自分も役者は何度も経験しているし、殺陣が難しいことも分かっていた。

 

しかし、同じ寒さのなか動くこともできず、ただ音響席でじっとしているしかない人のことまでは見えていなかった。

しかも大事なタイミングでダウンしてしまい、心までダウンしていたその人に、淡々と本番に参加させることはできませんという旨を伝える。何のフォローもない。

 

人としてどうかと、今では思います。でも、当時の私はそれができる人間ではなかった。

 

 

 

夢のような時間でした

 

たくさん失敗し、うまくいかないことだらけだったこの期間。人にイヤな思いをたくさんさせたし、自分もしんどいことばかりだった。

けれども、 良かったことも当然あった。

 

「今思えば」とか「経験として・結果として」というのが大部分ではあるが、なにより一番良かったのは、この一言を言ってもらえたことに尽きます。

 

 

「夢のような時間でした」

 

 

三部作、最後の作品の上演が終わったとき、当時いちばん若かった役者のメンバー(当時19歳)が贈ってくれたメッセージ。

 

高校を卒業してすぐの彼からのこのメッセージは、どこか高校時代の自分からのメッセージにも思えた。満面の笑みで感謝を述べてくれるまだ十代の自分。

 

るろうに剣心に憧れて、舞台上に創り上げられた異世界で剣をふるって怒り、叫び、涙をながす、そんな世界の登場人物になってみたい、そんなふうになりたかった。

でもなれなかった。でもなれました。あなたのおかげで。

 

そんな気がしたら、重い重い肩の荷が、ほんの少しだけ降りた気がしました。

 

 

 

 

良かった

 

 

やって良かった

 

 

ありがとう

 

 

 

★ ★ ★ ★ ★

 

 そんなこんなで、はや足ではありましたが・・・いや、それでも けっこう長かったかな?(^_^;)

 

 これにて

【プロデュース公演時代】編、終了でございます。

 

 

現在ここを【地下4階】と仮定して進めてきました物語、いかがだったでしょうか?

次はさらにその下の階【地下5階】へと降りてまいりましょう。

 

ご興味がございましたら、私とともに私の記憶の旅を巡ってくださいませ。

 

 

★ 次回予告 ★

 

 

【アマチュア演劇時代】

 

 ①安定志向だったjamiは就職する

 

 ・高校卒業時に劇団発足に誘われる

 ・二つの劇団と仕事とを両立させる日々

 ・自分のやりたいことしか見ていなかった

 

②このままでは先はない

 

 ・仕事が忙しく演劇ができなくなる?

 ・演技も人間関係もお金も、困ったことがないから困ることになる

 ・退職。家族には事後報告。めっちゃ怒られたけど、これ自分の人生

 

jaminism.hatenablog.com

 

___________________

 

 てなワケで、今回の記事はここまでっ( ´ ▽ ` )ノ

このたびは、おつき合いくださり感謝もうしあげますm(_ _)m(^^)

今後とも、どうぞよしなに~( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

 

 

 

 

戦国クリエーター・jami(ジャミ)

 

《プロフィール》

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