戦国クリエーター・Jami

Jami(ジャミ)と申します(^^) 甲冑つくったりしております☆ どうぞよしなに!

【小学生時代】~過去をさかのぼる旅・地下8階~

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恐竜だいすき少年だった。写真は今年 岐阜県博物館で撮ったアロサウルス

 

【目次】

 

 

 

 

 どうも。jami(ジャミ)です。

 

自己紹介も兼ね ~過去をさかのぼる旅~ と題しまして、自分の過去を開示する記事を書いております(^_^)

 

過去記事はコチラ

↓ ↓ ↓ ↓

jaminism.hatenablog.com

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aminism.hatenablog.com

jaminism.hatenablog.com

jaminism.hatenablog.com



 

過去をさかのぼるという趣旨にのっとって、過去から未来ではなく、未来(過去)から過去へと歩みを進めていきます。

 過去へいけばいくほど、だんだんと書く内容がど~でもいい(ホントはそうでもない)ものになっていきます( ´ ▽ ` )ノ

 

どこか原始的といいますか、どんどんと思考が介在しないエピソード(?)が増えていきます。

 

とともに、それこそが大事なことなのかもしれないとも思ってます。

 

まぁ、なんにせよ

気が向きましたら、

私とともに私の記憶の旅を巡ってくださいませ。

 

 

 

友達の誘いを断ってまで一人で遊ぶ

 

友達と遊ぶのも楽しかった。学校では毎日なにかしらやって遊んでいたと思う。が、ある時期、放課後の遊びにはつきあわなくなったときがあった。べつに嫌いな子がいたわけでも友達と遊ぶのに飽きたわけでもない。

 

一人で遊ぶ時間がほしかったのだ。どうせ学校で毎日毎日遊んでるんだから、学校が終わってからの時間は自分だけのものにしたかったのである。

で、ひとりになって何をするかといえば、恐竜の絵を描いたり粘土で何かしら創ったりしていた。

 

学校では友達も先生もいるので、意識は外へ外へと向ける。それはそれで楽しいし活気が生まれるのだけれども、どうも私はそればっかりだとバランスがとれないようだった。

内へ内へと意識を向けて、自分の内側と対話する時間が必要だった。上記とはまた違ったエネルギーが満ちてくるのを実感していた。

 

きっとその外へ外へと向けた意識はやがて【中学生時代】に「面白いヤツだと思われたい!」という想いとなり、

内へ内へと向けた意識はやがて【中学生時代】に、表現しようのない心を具現化したイラストになっていったと思われる。

 

の種子がこの【小学生時代】に植えられ、

【中学生時代】に発芽し、

【高校演劇時代】に実った

 

そんな印象でとらえてます。その後もjamiの人生において大きな軸となっていったように思えます。

 

 

 

小5で覚えた古生代年表

 

恐竜だいすき少年だった。写真は今年 岐阜県博物館で撮った写真たち。

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今年にはいって、ふと子供のころ好きだったものの記憶が蘇ってきて ふらっと寄ってきました。 

 

岐阜県博物館

〒501-3941 岐阜県関市小屋名1989

 

 

 

皆さま、古生代って言葉を聞いたことはありますでしょうか?

恐竜たちが登場するさらに昔の時代です。ちなみに恐竜たちがいたのは中生代ジュラ紀とか白亜紀って言葉を耳にしたことがある方もおられるでしょう。あれらはその中生代のなかの時代の名前。

 

小学5年生のときに、これらの年表を覚えました。好きだったので。

いうても、そんな覚える数はないですけども。

 

古生代

 

カンブリア紀

オルドビス紀

シルル紀

デボン紀

石炭紀

ペルム紀

 

 

中生代

 

三畳紀(さんじょうき)

ジュラ紀

白亜紀

 

ちなみにこの白亜紀末期に恐竜は絶滅し、新生代という時代が幕をあけます。

そして古生代カンブリア紀よりも昔は先カンブリア時代といって、これら古生代中生代新生代を合わせた時間よりも、遥かに長い長い時がながれ積み重なっています。

 

なんかね、そうゆうこと考える少年でした。友達とはこんな話できなかったので、ひとりの時間もとりたかったのかも知れません。

 

今思えば・・・

 

 

自分とも友達になりたかったのかなぁ・・・

 

 

そんな表現がシックリきます。

 

おしゃべりだった自分のなかの自分。もちろん誰の目にも見えないから、はたから見たら黙ってなにかを観てるだけ・黙々となにかに没頭してるだけなのですが、そのじつ

 

もう一人の自分と会話していたのだと思います。

 

 

「あれはね、こうでね。あ~でね。」

「へ~~、そ~なんだ。」

「でね、でね、ぼくこう思うんだ。」

「そっかぁ。そうかもね。」

「でさぁ、こうゆうことやりたいんだ。」

「いいねいいね!やろやろ!!」

 

 

などと、脳内では活発なコミュニケーション・・・ではなく、

コミュニオンがおこなわれていたのではないかと思います。

 

 

はい。聞きなれない言葉ですね。

コミュニケーションというのは、日本語に訳すと交信(こうしん)。言語などを

介在させて情報をやりとりすること。

 

コミュニオンというのは、日本語に訳すと交感(こうかん)。電子辞書には「互いに感じあう」とあります。言語などを介在させることなく情報をやりとりすること。

 

 

おとなしそ~~~~~に見える人でも、脳内ではめちゃくちゃ活発にやりとりしている場合が多分にあります。子供がなにかに没頭しているとき、ジャマしちゃいけないと言われるのも納得できます。

それと、子供がひとりで遊んでいるとき、ムリに友達の輪に入れようとするのも違和感を感じます。本人がその輪に入りたい!と思っているならサポートするのは良いことだとも思いますが、

 

 

・・・あれ、なんの話をしてたんだっけ?(´・_・`)

 

まぁいいや( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

家族構成が影響していたのかも

 

 私が生まれたとき、明治生まれの ひいお爺ちゃんも ひいお婆ちゃんもいました。そしていろいろな話を聞くうちに、頭のなかで時代区分といいますか、エピソードといいますか、

 

 

ひいお爺ちゃんが〇〇歳ぐらいのとき、日本はこんな感じだった。

 

身体が頑丈ではなかったため戦地に行かずに済んだ。結果長生きしてる。

 

祖父は終戦時19歳で、ギリギリ戦地に行かずに済んだけど、学年が1コ上の人たちはみんな行って、同い年の人たちも数人行った。

 

父方の祖父は中国戦線にて戦った。

 

祖母のお父さん(ひいお爺ちゃん・会ったことはない)は戦地にて戦って銃弾をうけ、肋骨の一部を失った。

 

映画『 ゴジラ 』(初代)が公開されたとき、父も母もかろうじて生まれていた。

 

etc~

 

 

などなど、映像つきで創り上げられていきました。もちろんただの想像ではありますが。

 

 

という・・・

 

 

どうでもいいお話でした( ´ ▽ ` )ノ

 

どうでもいいお話ではあるのですが、今の自分を構成する重要なピースな気もしています。歴史や物語に想いをはせる性格に多大なる影響をあたえたのではないのかなと思います。

 

今となっては、自分で歴史と物語、ひいてはそこに登場する登場人物まで創り上げたい欲求にかられています。

 

 

 

多趣味だった父の影響

 

私の父はプラスチック工場を経営し、プラスチック板を加工する仕事をしていました。そのかたわら、好きなことに没頭する人でもありました。

 

 

油絵を描いたり

キーボードを弾いたり

自分でヨットを造って子供たちと川へ遊びにいったり

 

私はたぶん・・・

いや、ぜったいに影響をうけてますね (^_^;)

 

 

 

 大人になってから思うことがあります。

 

環境って人を創りあげる だいじなだいじな要素だなと。家族もそうだし、友達もそうだし、そばにいる人がどんな性格でどんな考え方で、どんな行動をする人だったのか。

 

私がたいせつにしている考え方のひとつに、こんなのがあります。

 

 

自分がコントロールできる範囲のことは

できるかぎりやる

 

自分がコントロールできない範囲のことは

思い悩まない

 

自分がコントロールできる範囲を

増やしていく 

 

 

まぁ、簡単ではないですけどね(^_^;)

とくに家族構成とか、変えられないことってたくさんありますし。

でも、大人になった今であれば、周りにいる人たちを選んでいくこともできると思います。誰と関わるのか? 誰と関わらないのか?

 

周りにいる人が変われば、自分も変わることがあります。人もふくめて環境を変えれば、それまでと違った自分が創り上げられていくような気がします。

 

 

 

・・・あれ?

 

 

ホント、自分はなんの話がしたいんだろう??(^_^;)

 

 

まぁいいや( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

交通事故現場を見た8歳のときの記憶

 

注意! グロ表現あり

 

 

戦争体験者さんのお話などにくらべたら、そこまでのものではないのですが、とりあえず「あんまり心地良くない表現がありますよ」ということを先に述べさせていただきます。

 

小学生時代の記憶をふりかえっている今回の旅ですが、これは外しちゃいけない気がしましたので書きます。本当はあたりさわりのない内容で埋めてもいいかな、その方がいいのかなって思ったりもしたのですが、それじゃあこの記事を書く意味がないなと思いましたので、あえて書きます。

 

そうゆうのが苦手な方、不快にしか思えない方は、ここでこの画面を閉じてください。

 

お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学2年生の冬、家にいましたところ、救急車のサイレンがけたたましく聞こえてきました。「なにごとか!?」と家を出て道路をすこし歩いたところで、止まっている救急車を見つけました。

距離にして100mないぐらい。担架で誰かがかつぎこまれているのが遠くに見えました。そして救急車はすぐに発進して姿を消しました。

 

すぐに現場に歩み寄っていったら、すでに人だかり。

 

大きなトラックが止まっていて、そのタイヤから血の跡がつづき、その先には血だまりがありました。けっこう大きな血だまり。

 

運転手であろうおじさんが顔面蒼白で近くの人と話していました。彼は「急に飛び出してきた」と焦燥感にみちた顔で言っていた。

 

血だまりにはシェルメット(ヘルメットの簡易版? 軽いけど強度は劣るかも?)がバラバラの破片になって散乱していました。

 

・・・かなりの出血の跡にこの散乱した破片・・・

 

大人になった今であればすぐに想像がつきます。はねられたのではなく轢かれた。大きな重いトラックに。頭部を。頭部を守っていたはずの防具はこなごな。

生存率は・・・

 

 

今はいろいろな思いでその記憶を見つめることになったのですが、当時8歳の少年にはよく分かっていません。目の前のことを淡々と見て、淡々と記憶にとどめていました。

 

 

 

・・・血って沈殿するんだ・・・

 

 

そんなことを思ったのを覚えてます。上の方が透明になっていて、これが血漿(けっしょう)ってやつかな? とか、そこに沈んでいる赤い部分が赤血球かな? とか・・・ 

 

 

さきほど

「運転手であろうおじさんが顔面蒼白で~

焦燥感にみちた顔」

とか書きましたが、それもまた大人になってから

 

「あれを顔面蒼白って表現するんだな・・・」

「あれを焦燥感っていうんだ・・・」

 

 と後になって分かっただけ。当時は淡々とその顔を見ていました。

 

 

この経験がのちの自分にどうゆう影響をあたえたのかは分かりません。けれども、多分なにかしらの影響をあたえたように思えます。

 

 

 

エアーガンで蛇を殺してしまった10歳頃の記憶

 

注意! グロ表現あり

 

これまたあまり心地良くない記憶。でも、心地良い記憶だけで自分が構成されているわけではないし、混在されているもの。 

 

たぶんこれも、のちの自分に影響をあたえているような気がする。

 

今回はテーマ(?)がはっきりしています。

 

 

罪悪感

 

 

子供のころって、いろんなことをしたがります。危ないこともしたがります。ひどいこともしたがります。自分でじっさいに体験したうえで、

 

あぁ、

これは危ないんだな・・・

これはひどいことなんだな・・・

よくないな・・・

ダメだよな・・・

 

って、ひとつひとつ学んでいく。 

 

 

 

10歳ごろ。

たしか10歳ごろのできごと。

 

エアーガンを手に入れました。テンション上がりました。文字通り武器を手に入れた少年は、自分が強くなったかのような錯覚におちいります。

破壊衝動にかられます。いろんなものをこの銃で破壊したくなりました。これで撃ったらどうなるんだ? 弾を当てたらどうなるんだ?

 

庭でいろんなものを撃ちまくっていました。

 

 

そして見つけます。

 

ヘビを。

 

ヘビが庭の園芸植物から顔を出している。まるで林のなかに身体を隠してあたりをうかがうように、顔だけを出している。

私はその側面にたっていた。

 

ヘビはわたしに気づいてない。わたしはスナイパーにでもなった気分。容易に狙い撃ちできます。それをしたらどうなるのか、分かってはいたはず。

 

きっと死ぬ。

 

でも撃ちたい。

撃ってどうなるのか知りたい。

 

「たぶんそれは良くないこと」という思いはありつつも、好奇心が勝ちました。

 

 

トリガーをひいた瞬間、弾丸は放たれ、ヘビの側頭部に命中。頭部はパタリと倒れました。

すると隠れていた胴体がウネウネと姿をあらわし、ゆっくりとうねり出す。1メートルはあろうかと思われる長さ。思ったよりも大きな身体。

 

 

・・・うわ

 

やっちまった・・・

 

 

自分でやっておいて、そんなことを思いました。

 

やがて動かなくなるヘビを見つめながら、その場を離れることができませんでした。目を離すことができませんでした。

 

そんな私をみて親が言います。

 

 

「触ってはダメ」

と。

 

どうやら病気で死んでいるのだと思ったようです。悪い病原菌がついてるのかもしれない、と。親は私がエアーガンで撃ったことなど知りませんから。

 

 

しばらくすると雨が降ってきます。

家に入ってからも、ガラスごしにそのヘビを見つめ続けます。長くて白い腹をさらしながら、微動だにしない。

 

親がねんをおすように言います。

 

 

「触ってはダメ」

と。

 

 

 

 

・・・・・。

 

 

 

ごめんなさい

 

 

 

ホントは、ぼくが殺したんだよ

 

 

 

 

★ ★ ★ ★ ★

 

 

 

いやぁ~~~~~~~(^0^;)

 

暗い!!!

暗いぜよっ( ´ ▽ ` )ノ

 

でもね、でもね、

それもまた自分を構成するピースのひとつなワケですよ♪( ´▽`)

 

べつに言わなくてもいいことだし、言ったところで誰かが得するワケでもないから普段言わないだけでさ、みんないろんなこと体験して、いろんなこと思って生きてきたんだと思うんですよ。

 

なんかね、なんかね、

それでいいんじゃない(^_^)って思うんです。

 

良い悪いの判断のまえに、なにがあったのか、自分はどう感じたのか、どう思ったのか、そしてどう行動したのか。それを振りかえってみることで

 

「じゃあ自分はどうしたいの?」

 

ってことが見えてくることもあると思うんよね(*゜▽゜*)

 

 

 

 そんなこんなで、

 

 これにて

【小学生時代】編、終了でございます。

 

 

現在ここを【地下8階】と仮定して進めてきました物語、いかがだったでしょうか?

地下最深部にはなにがあるのでしょうね。それは私にも分かりませんが、

ここでようやく時を未来へ進めましょう。

 

 

次は【地下2階】へと昇ってまいります。【俳優時代】が終わったあとですね。感覚的にはどこか、恐竜が絶滅した白亜紀末期から哺乳類や鳥類が大進化をとげる新生代へとすすむイメージです。

 

ご興味がございましたら、私とともに私の記憶の旅を巡ってくださいませ。

 

 

★ 次回予告 ★

 

 

【断捨離時代】

 

① 要らないものを断つと、新しいものが入ってくる


・小説執筆開始。演劇では表現できない、武器の劣化、軍勢同士の激突

・甲冑づくりをはじめる

・手間暇かけずにものづくりできないものか?

 ➡本物の刀打ちを観にいく➡︎手間暇かければいい。

・真剣での試し斬り

弓道教室に通う

・戦国ブログ(旧ブログ)を書きはじめる

 「るろ剣キャラ紹介」(1~50話)
 「戦国武将紹介」(1~62話)
 「三国志 登場人物紹介」(1~47話)

 


② 縁を繋げることは大事。でも断つことも大事


・信用できる人とだけ繋がることが大事。でも、関わってみないと分からない

 

・断つことで次のステージへ繋がる

 


③ 再会


・「ご助力願います」

 誠意ある人のお手伝いは積極的にやっていった

 

jaminism.hatenablog.com

 


 

___________________

 

 てなワケで、今回の記事はここまでっ( ´ ▽ ` )ノ

このたびは、おつき合いくださり感謝もうしあげますm(_ _)m(^^)

今後とも、どうぞよしなに~( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

 

 

 

 

戦国クリエーター・jami(ジャミ)

 

戦国好きがこうじて、戦国的な作品をつくるようになった者であります。Web小説を書いたり、甲冑や戦国グッズを製作・販売しております。

 Iam Japanese SAMURAI creator jami .
write a SAMURAI novel
and make SAMURAI armour.

 

《プロフィール》

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